不登校と単なるさぼりと分けるのか、あるいは、許される不登校と許されない不登校があるのか
いじめによる不登校は逃げてもいいけど
怠けからのさぼりは認めてはいけないという考え方や
行きたくても身体症状が大変で登校出来ない状態と学校が楽しいところじゃないから行かない子と一緒にしないで欲しいという考え方など
認められる不登校とそうでない不登校があるという人たちがいます。
それだけ、学校に行っていない子、行くことが苦しい子は、それぞれ違って多様です。
住んでいる地域も家庭環境も学校のタイプも生育歴や特性もみんな違います。
しかも不登校の家庭内対応がいかに大変であるか不登校の子の親でないとその壮絶さは分からないでしょう。
不登校の親や本人以外が不登校を語るなというわけではないけど、
不登校を断罪するのが、不登校について表面的な知識しかないタレントやTwitterインフルエンサーであってはならないです。
「不登校とさぼりを分けるべき」という言説は
あまりにも呑気であり、無責任。
良い不登校と悪い不登校を分けたがる言説も誰も幸せに出来ない。
学校に行かない子、行けない子、行くのが辛い子の気持ちに丁寧に寄り添って下さい。
さぼりという言葉で
学校に行きたくない子の気持ちを断罪すること自体が害になります。
引きずってでも学校に連れて行って教室に押し込んだり、騙し騙し教室に誘導するのは、最もやってはいけない対応です。
不登校に何の予備知識がない人からみて「さぼり」に見えてしまう行動こそ
子どもたちにとってとても意味のある行動です。
ある日突然、塾や習い事を休みたいという、
今朝は遅刻したいという、
今日は休んでもいい?と尋ねる、
なんとなくだるい、
ゲームに没頭する、
寝坊する、
登校時間に急げないなどは、
ちょっとしたサイン。
これらを見逃さず、
責めずに子どもの話を認めながら聴いてください。
背中を押した方が良い時期は、
一旦休んで自らの意志で起き上がり、立ち上がった時だけです。
一旦立ち上がっても、それでも何回も折れてしまう子もいます。
さぼりたい気持ちの時は心が黄色信号から赤信号になりかけています。
「ここを乗り越えないと社会でやって行けない」と言う人もいますが、
現実の世の中には様々な職種があり、生き方があります。その子に合う仕事や人生は、丁寧に探していけば必ず見つかります。
まだ成長の途中にある子どもに向かって、将来の不安を煽ることでコントロールしようとする人がいるなら、
そんな社会人のほうが変なんです。
休みたいときにちゃんと休めて
子どもたちが既存の学校という枠組以外の
どこで学んでも社会に繋がることが出来るように、または既存の行くことが苦しい場になっている学校教育のあり方を変えていく、
それが大人の役割です。